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バルカ家の出発を見送った後、私たちはシラクサ(シシリー島)に移動した。庇護者であるハミルカルのいない今、カルタゴに長居は無用だ。最高権力者ハンノ・ボミルカルなら邪魔な私達を起訴しかねなかった。
幸いシラクサの有力者である知人の推薦もあり私の海賊退治作戦はローマの許可を得ることに成功した。おまけに最終的な掃討戦にはローマ軍まで参加してくれるという。
もちろん無料ではない。購入するよう求められたローマで不要になった軍船は修理費まで合わせれば莫大な金額になる。また海賊を取り締まると言う理由で領有を望んだアポロニアについては認められたが、それより北(イリリア)の権利は全てローマのものである。
それでも私には十分だった。
軍船の修理が終わり部下たちの訓練で忙しかった私がシラクサの知人を訪ねたのは出陣2日前のことだった。
シラクサの僭主ヒエロンの縁者でありながら彼は静寂を求め町外れの城壁の近くに住居を構えていた。
勝手知ったる他人の家とばかり、中に入ると彼は製図机の上にひろげた図面を見て考え込んでいた。邪魔をせぬようついてきたピピに小遣いを与え外に出しそのまま待つことにする。
彼はギリシャ人で今年で確か50才になる。白髪は混じっているものの日に焼けた肌やその下の筋肉はまだまだ若々しい。
彼が図面から視線を外したのは遊びあきたピピが帰ってくるのと同時だった。
「先生」
「来ておったのか!」
「忙しくてなかなかお訪ねできなくて申し訳ありません」
「なに、キヨなら手紙だけでも十分さ。もちろん美しい姿を見たくないとは言わないが」
ピピが懸命に咳払いをしている。
「この子はピピ。私の身の回りの世話をしてくれます」
「可愛い山猫さんだ」
ピピのノドがゴロゴロなる。どうやら互いに気に入ってくれたようだ。
挨拶が終わった所で土産を差し出す。
「お好きなエジプトワインです」
「すまぬな。エジプトワインは世間では極上とは言われておらぬが、ムセイオン(エジプトのアレキサンドリア図書館付属の研究施設)で研究した頃を思い出すのでな」
「よく存じております」
机の上の図面は気になるが、ヒエロンの極秘の依頼をこなす場合もあるので言い出すのを控えていた。
「この図面はキヨのためのものだぞ」
視線で気づいたようだ。
「私の?」
「いつか言っておった三本マストじゃよ」
「まあ!」
急いで側に行く。机が高いのでピピは背伸びしてのぞきこんだ。
外見は私のイメージ通りだ。
「強度はレバノン杉さえ確保できれば充分だろう。もちろんミニチュアで試す必要はある」
「これは?」
私は横に丸めてある図面を手にした。
「簡易版だな。地中海ならこれで十分なはずだ」
許可を得て広げてみると大きさはさして変わらぬが竜骨などは細身で積載量が増えている。
「お分かりでしたか」
「ヘラクレスの柱を越えるときは声をかけてもらいたいものだな」
「まだまだ先のことですが」
「わかっているさ。そう簡単に老いぼれるつもりはないよ」
「お礼は?」
「必要ない。季節の折々の挨拶だけで充分だよ」
「しかし」
「ヒエロンの顔も立ててやらんとな」
なるほど過度の私からの礼金はパトロンを自ら任じている僭主の気分を害するかもしれない。
「ではまた珍しい食べ物でも」
「それは楽しみだな」
話しているうちに奴隷たちが隣の部屋のテーブルにパンやチーズ、それに干し肉などを並べ始めた。ピピの好きなまぐろのステーキもある。
食べながらムセイオン時代のことをたずねる。
アレキサンドリア図書館には当代一の資料が揃っており、この世界の謎を知りたいなら一度は訪ねる必要がある。
「ではエラトステネス様をご存知ですか?」
「よく知っているとも。同年輩だが天文学では奴に一日の長があるな」
食後にエラトステネスへの紹介状を書いてもらい。名残惜しいがアルキメデスの家を後にする。出陣を控え私は港にいる必要があった。