02 (2)
会場へは馬車で向かう。ドレスは窮屈だが、嬉しそうに褒めてくれるピピに不満な顔は出来なかった。
「とても良くお似合いですよ、キヨ様」
「ありがとう」
キヨ・サイト、これがこの世界での私の名である。5年経ったいま斎藤清と呼ばれてもすぐに返事できるかどうか少し怪しい。もう元の世界に戻ることはできないのだろうか。
いや、まだ諦めるのは早い。富を蓄えたのは別に贅沢したいためではない――まあ少しはしたいけど。私達をこの世界に送り込んだ方法を探り、元に戻る方法を見つけるためなのだ。
考え事をしていた私の顔をピピが覗き込んできた。猫娘のピピにはどうもきつく当たれない。
この世界の獣人でこれまで直接見たのは3種族だ。ケルト(ローマ人の言うガリア人)と混住する山猫族、ゲルマン人と混住する狼(犬)人間、そしてギリシャのセントール(ケンタウロス)である。私の配下には人間より前二者が多かった。
「ちょっと考え事をね」
「心配しなくても、みんなキヨ様についてきますよ」
「え?」
どうやら私の悩みを勘違いしたらしい。
「お金に目がくらんでヒスパニアに行く者などいません!」
「それはどうかなあ。それに行く人たちを悪く言っちゃだめだよ」
「なぜですかぁ?」
耳をねかせ尾をくねらせるピピは可愛すぎる。思わず撫でるとピピが身をよじらせた。頬ずりしようとするとピピは身をはなす。
「今はだめですよ、キヨ様。お化粧が崩れます」
「う、うん」
ピピの真剣な顔に笑い出しそうになったが、我慢する。彼女は彼女なりに私のことを心配してくれているのだ。
「ちょっとリボンを直しますから頭を下げてください」
「あ、ああ」
私の悩みは部下として抱え込んでしまったこの世界の住人たちの身の振り方であった。これまで集めた情報を元にさらなる探索の旅に出たい私にとって付き従う多くの部下たちは重荷である。可能なら元の5人のメンバー以外はバルカ家とヒスパニアに行きカルト・ハダシュト(現カルタヘナ)の建設に携わってもらいたかった。
しかし情報に通じたピピがああ言う以上……
「はい、これで大丈夫。もう着いたようですよ」
「うん」
馬車のドアが開くと加藤が深々と頭を下げている。
「キヨ様、お手を」
二三発蹴飛ばしてやりたいが、衆目のなかだ。それにハミルカルの尽力で最下級とはいえ貴族の扱いを受けるように成っていたので軽はずみな行動は慎まざるをえない。
「ありがとう」
と、やむを得ず礼を述べ下車する。
議事堂に隣接したセレモニーホールは巨大な建物だ。それはカルタゴの富の象徴でもある。私のような部外者が招待されたのは傭兵の反乱による内戦でハミルカルの下で大きな戦功をあげ、彼に推薦されたためである。
簡単に実現したのは、叙勲や名誉を与えるのに金はかからないからだと思う。カルタゴ人は、あくまでも商人なのだ。
護衛は入れないので私はピピと二人で受付の前に立った。
「ようこそおいでなさいました」
この世界での名前を告げる。
「キヨ=サイト=カリステー」
「伺っております」
今のカルタゴで私の名は、自分で言うのは恥ずかしいが、それなりに有名である。
「では」
と入ろうとすると止められた。
「体を検めさせていただきます」
気色ばむピピを止める。これはハミルカルと敵対する現サフェット(カルタゴの統治者)ハンノ・ボミルカル(大ハンノ)の差し金だろう。気が進まない私としては勿怪の幸いだ。
「来たことだけを伝えていただければ結構」
ときびすを返す。
これには相手も驚いたようだ。ハンノの手の者だとしても、ハミルカルの名声と影響力を考えれば当然だ。
「お、お待ちください」
「別にかまわぬ。元々私はこういう場は好かん」
その時、後ろからトシアキの咳払いが聞こえ、ピピが私にすがりついた。ピピはこのパーティーを楽しみにしているのだ。
「お待ちください。確認してまいります」
受付の男は少しの間、幕の裏に消えてから戻ってきた。
「手違いでございました。お入りください」
誰に聞きに行ったわけでもない。彼の気配はずっとそこにあった。彼はハンノから金を受け取り、合法的に私の体を検めるチャンスに飛びついたのだろう。ハンノの単なる嫌がらせだ。
欺瞞は大嫌いだけれど嬉しそうに耳を立てたピピの顔を見るとなんともいえない。
「了解した」
会場は盛況である。先の大戦でローマに敗れたとはいえ、カルタゴ本国は無傷だった。
もちろん敗戦の影響は大きい。シシリー島を失い3300タレントの賠償金を課せられたのだから。そして即刻支払う必要のある1000タレントをかき集めるため賃金の支払いを拒否したため傭兵たちの反乱がおこり、その混乱中にサルジニア島とコルシカ島まで失った。
(1タレントは6000ディナール、1ディナールは約1万円)
しかしハンノを中心とする大地主たちの富にはさして影響はなかった。彼らにとって終戦はローマという巨大市場を生み、政敵であるバルカ家を遠ざける神風と言えなくもない。
私はしかるべき人たちへの挨拶のみ終えると飲み物を受け取った。ピピは食べ物を探しに行った。招待客が多いので立食形式である。ギリシャ・ローマ式の寝椅子での会食が正式なものだが、この人数では費用がかかりすぎるのだ。
「楽しんでもらってるかな?」
声をかけて来たのはハミルカルその人である。雷神を思わせる異丈夫なのだが、人当たりはよく魅力的な人物だ。
「はい。閣下」彼が目で先を促すので私は続けた。「せっかくのお誘いですが、私は交易に戻ろうと思います」
「それは残念だな」
「もともと争い向きではありません」
私は同行を望む部下たちの雇用を彼に依頼する。高額の退職金を用意したことを彼は喜んでくれた。
「どのくらいの人数になる」
「最近雇った傭兵はみな行くと思います。閣下を慕っていますから」
「キヨが望めば俺の元には来ないだろうさ」
私はピピの言葉を思い出しながら続けた。
「山猫族はおそらく私と来ると思います」ピピの姉のライヤが彼らを率いていた。「あと水兵たちも」
「それはしかたないだろうな。もうカルタゴに海軍はない」
ハミルカルは給仕を呼び杯を二つ取り一つを差し出した。それがローマから輸入されたぶどう酒なのはちょっとした皮肉だ。小麦の大産地であるシシリーに加え、サルジニアとコルシカを支配するようになったため半島では果樹園やオリーブ畑が増えていると聞く。
「では君の繁栄をバアル神に祈って」
一隻の商船でカルタゴに来てから、わずかの間に莫大な資産を手にいれたのはハミルカルのおかげである。私は心のそこからの感謝を込めて言った。
「閣下の栄光がますます盛んになりますように」
「キヨも来ればいいではないか」
後ろから聞こえた可愛らしい声に私は思わず微笑んでしまう。それはハミルカルの息子、まだ若干9歳のハンニバルである。本来ならこのようなパーティーに参加するには若すぎるが、彼もヒスパニアへ行くので少し早い社交界デビューになった。ギリシャ人家庭教師のシレヌスを伴っている。
「これは御曹司、ご機嫌麗しゅう」
「挨拶などどうでも良い。キヨも来ればいいではないか」
「これ無理を言う出ない」
「しかし父上」
「キヨは海の商人でございますれば、御厚情により得た資金を貿易にて運用したく存じます。なに、私どもの商品を買っていただきに参上しますから」
「きっとだぞ」
この度のいざこざで西地中海はローマの支配下に入り『我ら(ローマ人)の海』となり、海賊を除けば航海は安全になった。貿易の増加は期待できる。
会話を続けながら私は、これから進むべき道を早めに仲間と相談しようと決心した。
ピピのお腹が満足したころにはパーティーも終わりかけていたので、私は会場を後にした。
宿の予備の部屋に私と共にこの世界に飛ばされた5人全員が集まる。
トキ・ゲンドゥルは金髪碧眼のゲルマン女性で大柄、狼人の男女カイとキムは更に大きい。この三人に比べるとラテン系の加藤は少し小柄だ。まあ、それでも私は見上げなければならないのだが。
三人とも私や加藤と同じく二一世紀の日本の住人だ。オンラインゲームの中でパーティーを組み週末のひと時を過ごすはずが、もう五年の付き合いになった。
この世界はそのゲームに似ている。例えば魔法の力は弱く、肉弾戦が主流なのだ。実際、詠唱時間が長いせいもあり、よほど高レベルの魔力でないと実戦で使い物にならない。
そのためなのか、魔力が特徴のエルフは絶滅危惧種だ。これまで出会ったエルフ系住人はハーフエルフばかりで、彼らは特殊な職業、役者や踊り子に限られていた。
「何か方針に変更でもあるの?」とトキ。
彼女は5人の中で一番実務能力があり、基本的な魔法も心得ていた。加藤はトキがリアル男だと推測している。私と違いオンラインゲームに慣れているので戦い方でわかるらしい。
「変更ってわけじゃないけれど、行き先を決めた」
「その前に言っておきたいことがあるわ」
ふさふさした金色の尾を振りながらキムが口を挟む。加藤の推測ではカイとキムはリア友で恋人同士ということだ。私にはわからない。だがこの世界で仲が良いのは間違いない。私は先を促した。
「なにかな?」
「猫ちゃんたちはどうするか知らないけれど、私に従う狼人は」
「えへん!」
咳払いはカイ。
「私とカイに従う狼人のほとんどはあなたと共に行くわ」
キムたち狼人はピピ達を猫と呼び自分たちを狼と称しており、ピピたちは逆に犬、山猫という言葉を使っていた。いや、これはこの際どうでも良い。戦い好きの狼人のほとんどはヒスパニアに向かうと私は予想していたのだ。
「そう……それで加藤?」
「人間族も3分の1は残るな」
「うーん」
これは私の予定の5倍近い人数でしかも戦闘員が多い。
やはり最初の計画、コネがあるシラクサ(シシリー島の都市、この時点では独立国家)を本拠にし貿易商としての地位をかためてから少人数でこの世界の探索を続けるのは無理だ。これほどの規模の戦闘集団を保護者であるローマが受け入れるとは思えない。
「で、どうするんだ?」
この加藤の問いに私はすぐ返事が出来ず、聡明なトキは現状が私の予想外の展開であることに気付いた。
「山猫以外はヒスパニア行きが妥当なのかしら?」
「キヨ抜きでは納得しないね」とカイ。
「言っておくが、辞めていく者も退職金だけが目的じゃないぞ。これからは交易が主流とキヨが言ったことと、バルカ家の恩に報いるためなんだから」
加藤の指摘には一理あるものの結局、私の見込みの甘さが原因なのは間違いない。まあ今さら言っても後の祭りである。
私は心の中で残る兵力を数え直してみた。ローマに受け入れらない人数……しかしローマのためになればどうだ。
すぐに策はなった。
「行き先は決まっている。トシアキには私の親書を持ってローマに行ってもらおう」
「おいおい、俺には外交は無理だって。トキじゃだめなのか?」
「だめじゃないけど、手続きが面倒になる。トキは女性だからね」
「しかし」
「あら。女の子にさせる仕事じゃないってキヨは言ってるのよん」
「わかったよ。しかし引継ぎは大丈夫なのか?」
人間の部隊はこれまで主に加藤が率いてきた。
「私たちの集団では女性が上にくるのは不自然じゃないわ」
トキに言い返せるほどの実績は加藤にはない。
「そりゃそうだが」
「じゃあ、文句言わないこと。それで私たちはどこへ?」
四人の目が私に向けられた。
「イリリアを討つ」
イリリアはアドリア海を挟んでイタリア半島の東にある地域で海賊の巣窟になっている。これほどの人数になった私たちには、ハミルカル同様本拠地が必要であった。ローマの許可を得て(海賊退治なら同意してもらえる可能性は大きい)イリリアを討伐した後、根拠地を獲得すれば同盟国と認められる可能性もある。
私の説明に加藤はこう言った。
「それなら全員連れて行けるんじゃないか?」
「それは二つの点で難しい。ハミルカルには兵力が必要だし、私たちの兵力が多すぎければ、ローマや隣国となるマケドニアに不安を与える」
しばらく説明すると全員が納得してくれた。
その後トキにだけ残ってもらい詳細を話した。
トキがいなければこの世界で私は何もできずに終ったかもしれない。それほどトキの能力は高い。とくに経理は神憑りであった。
「了解したわ。全部可能よ。ところで、キヨ……」
「なに?」
「あなた本来の歴史に干渉するのを嫌がっていたでしょう。これは?」
「たしか本来なら、ローマが動くはず」
「なるほど――でも、それでいいの?」
「どういう意味ですか?」
「あの子のことよ」
「ハンニバル?」
「ええ」
「二十年後ですよ」
第二次ポエニ戦争のことだ。
「この世界での私たちの老化については一度話したと思うけど」
「それは推論に過ぎません。それに私は元の世界に戻るつもりなんですけど」
「オーケイ、了解。それに関しては約束どおり協力を惜しまないわ」
私以外の四人は私の望む帰還を応援してはくれるが、今はもう元の世界に戻るつもりがないのだ。この世界での冒険がよほど気に入ったのだろう。
トキが出て行った後の部屋に私は1人でいた。私の部屋で待っているはずのピピとその姉のライヤにはもう少し待ってもらおう。寝る前の大騒ぎが始まればゆっくり考える暇はなくなる。
イリリアの攻略方法を考えているとドアが小さくノックされた。ノックの位置は低い。その身長で私の親衛隊長をもって任じているライヤの警護網を通り抜けられるのは一人だけだ。
「どうぞ。御曹司」
入ってきたのは案の定ハンニバルだ。
「キヨ、邪魔したかな」
「いえ。就寝までには少し間があるので考え事をしていました」
彼の目はあやしくきらめいている。まさか9才で私に求愛する気なのだろうか。
「二人きりで会える機会はもうないと思う。キヨに聞いておきたいことがあるのだ」
「なんでしょう」
「父上は私にローマを生涯の敵にせよと仰せられた」
「平和が訪れたばかりだというのに」
「まあ聞いてくれ」
「ええ」
「私はまだ子供だけれどローマ軍がさほど強いとは思えない。父上もシシリーでは優勢だったし、大王の戦法に比べれば彼らは稚拙だと思う。私は勝てるだろうか?」
目の輝きはそのためだったのか。彼の言う大王はアレキサンドロス3世、この世界でも100年ほど前に全オリエントを征服していた。
「私などよりハミルカル殿に聞かれたほうが」
「キヨの戦い方は聞いた。大王の戦法を熟知していると私には思える」
えい、くそ! 父親から聞いた話だけで気付くとはこいつはやはり天才だ。おまけに、えもいわれぬ魅力があった。
ローマの勝利は動かぬと知りながら、私は答えねばならないのか。
「アレキサンドロスは天才でしょう。しかし敵のペルシャは」
「ペルシャは大国だったぞ。人口も富もローマをはるかに超える」
「それは巨大な竜にも例えられるでしょう。しかしイッソスで牙を抜かれ、ガウガメラで頭脳を失い彼らは滅びました」
「ローマは?」
「ヒュドラですね」
ヒュドラは9つの頭をもつ蛇である。
「ヘラクレス神話の?」
ヘラクレスの一二の功業の二番目にあたる。
「ええ」
「不死の頭はどれだ。元老院か?」
鋭すぎる。
「それに民会です。市民全員を殺すかとらえて奴隷にしない限り勝利になりません」
私は軍役が可能なローマ市民の数が25万をこえること、防衛に当たっての市民兵の手ごわさを説明した。
私から情報を絞りつくすとハンニバルは思わず見入ってしまうような笑みを浮かべた。
「よくわかったよ、キヨ」
「お役に立てれば幸いです」
「キヨは天才だな」
「エルフの千里眼ですよ」
「嘘を申せ。10年したら迎えにいく」
「え?」
「さらばだ」
彼の去ったドアをしばらく見つめていた私はピピたちを待たせすぎたのに気付いた。慌てて寝室にしている部屋に行く。ドアを開けるとベッドの上に背を向けた二人が座っていた。待たせたことに対する怒りを示しているのだろうけどぴくぴく動く猫耳が期待を表している。こちらが下手に出るのが常套手段なんだけどちょっと悪戯心が出た。リボンをはずし服を脱いでシーツの中にもぐりこもうとした。裸の私に二人の尾が絡みつく。
くすぐったすぎる。
「ちょっとそれ反則」
「反則は私たちと違います」
ライヤは少し意地悪な顔をしている。
「待たせすぎです、キヨ様」
「いろいろあったのさ」
どうせライヤは部下の報告を受けるだろうけど簡単に事情を説明した。
説明するうちに二人は私を挟み、尾のくすぐりは我慢できないまでになってきた。ライヤの柔らかい耳が脇腹をくすぐり、ピピは後ろから首をなめるので力が抜けてしまう。
「ちょっと止めて」
「止めていいんですか?」
「今夜は意地悪ね、ライヤ」
「あら、どちらが」
「きゃ」
私はあわててネコじゃらしをまさぐった。