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日が落ち夜の帳が下りようとしているのにカルタゴの街の喧騒はおさまらなかった。ローマとの戦いから数えれば25年以上に及ぶ戦乱が収まったのを喜んでいるのだ。
最後の混乱は対ローマ戦のために雇った兵士の反乱で私たちはハミルカル・バルカの指揮のもと鎮圧に加勢した。
小さな咳払いでベッドの上の私は注意を室内に戻した。忠実なピピが精一杯のしかめっ面で睨んでいる。怒っているわけではないのは尾のクネリで分かる。大きな獣耳と尾を持つピピは猫人族の少女だ。
「そろそろお着替えにならないと」
「う、うん」
促されて服を脱ぐ。高級な宿でも珍しい大きな銅鏡には鋭い目付きのエルフ少女が写っていた。
この世界に魔法や獣人が存在するのはともかく、自分がエルフだというのは、5年たった今でも受け入れがたく慣れることができない。本来の私は、ユーラシアの東方に浮かぶ弧状列島で2200年後に生きていた平凡な男なのだ。
ピピがトルソーのドレスをとりに立ち上がった時いきなりドアが開いた。
「大変だぞ、キヨ」
隙間から顔を出したラテン系男子ケン・カトは元の世界からの私の友人加藤健一だ。喧嘩を吹っかけたくはないが、こちらは裸である。あわててシーツをかき寄せて叫んだ。
「ノックぐらいしろ。ケンの間抜け」
「わるいわるい。しかし俺とお前の仲で」
性におおらかなここでは関係があると言っているの等しい。ピピも怖い顔になった。
「どういう意味だ」
奴も意味を悟ったらしい。
「だからさあ。そのー親友って意味だよ」
シーツの下でドレスに袖を通して立ち上がる。ベッドで立つとさすがに加藤を見下ろすことができた。
「まあいい。それで何のよう?」
私は鏡の前に移動し、ピピに髪を整えてもらいながら返事を待つ。
「バルカ家は町を出るらしい」
現在のバルカ家当主ハミルカルは、歴史上有名なハンニバルの父親だ。彼がこの時点でヒスパニアに向かうのは史実に即しており、歴史の大河はいささかの乱れもなく流れていた。魔法やピピたちのような人以外の知的生命体の存在は、まるで影響していないように思える。この世界は元の世界の改変された過去なのだろうか。もしそうなら歴史への干渉は避けたいものだ。
物思いにふけってしまい、しばらくしてからピピと加藤が私の返事を待っていることに気づいた。
まずピピにうなづき、鏡の前から移動する。パーティーの時間は迫っていた。
「それで?」
これは加藤に。
「バルカ家と共に行くなら今日返事が欲しいそうだ」
「うん」
そのまま黙るが、加藤はおとなしく返事を待っている。バルカ家とは、ここで分かれると決めている。しかし今や私たちは大きな戦闘集団であり、平和になったカルタゴには居場所がなく、何らかの手を打つ必要があった。
その間にピピは太陽と潮風で脱色した私の髪を綺麗に結い上げる。しかめっ面のまま。
海へあまり行かないようにと言いたいのだろう。
ピピが化粧品を取り出すと今度は私が顔をしかめる番だ。普段なら断固拒否の化粧もハミルカル主催のパーティーとならば必要なのは分かっているのでやむを得なかった。
エルフらしからぬ浅黒い肌をせめて顔だけでもとピピはエジプト製の化粧品を塗りたくる。
次にピピが手にした口紅を睨みつけながらこう返事をした。
「バルカ家とはわかれる」
「そんな気はしていたよ」
「ただ同行したいものを止めはせぬ。部下たちにこう伝えてくれ。バルカ家に付いて行きたい者にはこれまでの給金を精算し、約束した退職金は5割増しにする」
「おいおい、辞めて行く者にか?」
「この地で傭兵稼業は続けられない。放置すれば新たな反乱の原因になる」
「わかったよ。それでパーティーには来てくれるんだな」
私がおとなしくアイシャドウを塗られるのを見て納得したのだろう。加藤はそのまま返事を待たずに立ち去った。