01 プロローグ
経済恐慌な中、ベルカはウスティオに独立を許す。
この独立運動は88年のベルカ連邦法見直しに端を発し、これにより活発化した。
だが当時のウスティオは、主義や国家思想へのベルカの締め付けは激しかった。
ベルカでは極右政党が政権を獲得。
ベルカの混乱は絶頂期を迎えた。
極右政党は強く正当なベルカを取り戻す意志のもと、ウスティオと対立構造にあった。ウスティオの民主化とウスティオの革命軍との融和政策を推し進めた保守党が倒れた事で、反政府勢力との間に緊張がはしる。そんな中、ウスティオで内戦が勃発する。
90年代に入り自由選挙での運動が活発すると、ウスティオの軍事クーデター等、
相次ぐベルカの経済恐慌とウスティオとの対立構造が表面化した95年。
民主制や独立した主義だったかつてのウスティオを求める革命軍とベルカの立場を重視する政府との間にウスティオで内戦がおこり、ウスティオの影響力を維持するため、ウスティオ内戦を機についにベルカはウスティオへの侵攻を開始する。
(ベルカはロシアくらいの超大国です)