07
街道を通って堺に近徳は向かっていた。
道に多くの人が集まっている、聞くと、罪人の処刑のようだ。
罪人が手を合わせ仏の念仏を唱えながら、首を斬られるのを待っている。
「あの罪人は何をしたんだ」近徳は聞いた、
「今年の年貢米を親のために少しかっぱらったんだ」
首切り役人が刀を持っている。
罪人は目を閉じて念仏を唱えている。
近徳は言った。
「おい、年貢米を取っただけだろう、それで処刑なんてひどい事するな」
それを聞いて、供の者が「領主様のお耳に伝わったら大変になります。あまり気にしないほうがよいですぞ」と言う。
それでも近徳は、
「おい、仮にも親を食べさせていくのに取っただけじゃないか、ひどすぎるんじゃないか、俺が役人にお金を払うから見逃してやりなよ」と言う、
「領主さまの命令だ。金を出されても取りやめる事は出来ん」役人は言った。
それを聞いて、処刑を見ていた大勢の人も、
「おおい、そうだ、この人の言う通りだ、やめさせろ!」とゆう声が広がる。
役人が出てきて、「この野次馬どもめ、ここは上杉どのの領地だぞ!」と声を荒げる。
近徳は「上杉殿は毘沙門天の神様を崇める方、むやみな殺生を認めるとは」と言う。
供の者が「これはこの時代のならわしです、行きましょう」と言った。
その声が終わらぬうちに刀は振り下ろされ、罪人の首は落ちた、
それから首はさらしものにされた。
「この時代、国民も内乱を起こせる時代なのに、人間は殺生を好む、いつの時代も人間はこのような物だな」近徳は言って、
罪人の首に手を合わせると、「これから良くなってきますよ・・・」と言う。
それから街道を西に進む。甲斐の馬を借りて進んでいた、雨が降ってきた、
「ひええ〜降ってきたな」供は言う。それから宿に向かう、それからしばらくして雨は止んだ。「厠に行きたい」と近徳は言う、「あちらです」と宿の元に案内される。日が照り仕切る中、厠は糞や尿が日の光に照らされて、悪臭を放っている。
そこで済ませるが、雨といい、何日かかるんだ。匂いに耐えられない。
「嫌だ耐えられない・・・」と近徳は21世紀が良かった・・・と懐かしく思う。
それから後何日で堺に着くんだと供の者に聞く、
「早ければ・・・」と教えてくれる。
堺に帰れば、この時代の物で厠の水道でも考えようかな・・・でもそんな事したら、バタフライ現象がと思う。
21世紀より資源があるのに・・・と思う。
そのうち旅を続けていると道が開けてきた。甲斐に行く時は馬で天候もよく何も感じなかったが、天候が悪く、標識もないから道に迷っても多く時間がかかっていたが、やっと大阪に着く。
「この時代、夜盗、強盗ばかりだな。警察もいないんだ。犯罪ばかりだな」と思う。そこから堺の道場の家に戻り、一夜を終えて、
次の日に宣教師ルイス・フロイスの通訳の仕事としてフロイスの世話をしていた。
「二ホンノ、フキョウカツドウハ、ワタシモクシンシマシタ。イエスズカイノコトヲワカッテモラエルノマダ二ホンデハスクナイ・・・」
近徳は、「関東から帰る途中に罪人に会いました。この時代は司法が出来ていない」英語で近徳は話す。
「シホウ?」フロイスは言った。
「例えてみれば、考え方や制度の事です。貴方達ポルトガルのイエスズ会が広めようとしている考えかたの進歩した考え方と言っていいです。西洋と日本は考え方が違いますが・・・」続けて、
「制度的にポルトガルは王政でしょう。日本も天皇制ですが、これの進歩した考え方、宗教の進歩は政治とは違いますが・・・。僕はカトリックの教えとして、プロテスタントとかカルヴァンとかの宗教改革でもなく、21世紀のドラマとか映画とかで表されるヒューマニズムを伝えたい。
日本の道徳とゆうのを進歩した考え方を広めたい。古く、中国の周の時代に孔子とゆう人物が道徳で導くと言った考えが元でそれから釈迦が仏教を開いた。フロイスどのは神学で勉強していますが、人間的な考えや、人間性からも生まれます。
神様は我々人間には人間的な愛や友情、自由、希望等の事だと思います。他にも法とゆう考えもありますが、こっちの分野有名な優れているの進歩は秩序等も道徳から進歩した考え方だと思います。ロックやモンテスキューやカント、グロティウス、アダム・スミス等もたくさんいますが、
僕はキリスト教を広げるなら聖書だけでなく、自然のよさや秩序だけでなく人間的な事や考えや愛情を広げてみていきたいものです。日本人にあまりないから・・・。外国はいい国多いし」と近徳は言う。秩序と言ってもアメリカの3権もこの時代かなと思う。こんな本出しているの21世紀だとたくさんいるなと思う。
それから、キリスト教では自殺は罪とか言っているが、プロテスタントでは安楽死の考えを認めて、
日本でも今から安楽死を21世紀でできるようにしていきたいけど・・・。と思う。
殉死もある古い国だから大変だな・・・と思う。
フロイスは「二ホンシノヘンサンヲシタイノデス、テツダッテクダサイ」と言う。
日本史は得意だと思い、「喜んで」と言う。
それからフロイスは、
「コノホンヲワタシ二クダサイ・・・」と言った。
「これ一緒にタイムスリツプして持ってきた、カズオ・イシグロの「私を離さないで」じゃないか」と思う。
「セイショヨリスキデスカラ、ゼヒ」とフロイスは言った。
「そうおっしゃるならあげますが」と答えた。
ヨーロッパでは宗教改革が起こった後で、カトリックからプロテスタントも誕生していた。カトリックは信者を増やそうと日本へ送ったのがイエスズ会だった。