ある老人の安楽死の旅〜ヘブンズドア・老人と海〜
家で寝たきり
移動する時は常に夫の手を借りないと体を起こせない。
我が子に先立たれ、彼女自身も治らない病気と1日1日戦うのがおっくうだった。
名は洋子
歳ももう80過ぎてて、
言葉で話すのも辛い毎日だった。
子供も亡くなって葬儀を済ませた後、自分も騒々しい町を離れて静かに余生を送りたい・・・。洋子は高齢者の生活できない人専用の施設。
そう考えて田舎の実家に戻ってきて一息つけた、
そんな中、判明した癌。
早く息子の所へ行きたい・・・
そんな事も考える時もある。
それでも彼女は病気と闘い続けていた。
寝たきりの彼女は、
「夫ばかりに迷惑をかけて・・・私は何しているのだろう・・・」
とよく家を訪れて自分の世話をしてくれている妹の良子によくそんな愚痴をこぼす。
「何いっているの洋ちゃん」
「だけどまだ死にたくない」
彼女の中では様々な思いがからみあっていた。
夫が世話に疲れて洋子の事をたまに遠ざける日があったりと、
いろいろと妹に愚痴をこぼしていた。
妹が彼女のベッドの横に腰をかけて、
彼女の顔を撫でると洋子は少し疲れたように目を閉じる。
「亮介さんに出会ったきっかけはなんやったん」
と良子はそっけなく聞いた。
それを聞くと少し嬉しそうに洋子は口を開いた。
「二人ともよく桜が好きで・・・よく・・・若い頃、亮介さんの自転車の・・・後ろにのって・・・桜を見にいっていた・・・桜の並木道の坂を・・・自転車で・・・二人で・・・後ろに乗って降りた・・・あの頃は亮介さんもとても優しかったし、人生でとても幸せだった・・・」
そう言って洋子は再び目を閉じる。
「こうゆう話もした事、この歳までなかったね。ホント仲の悪い姉妹だったから、
お母さんにもよく怒られよったしな」
「そう・や・ね」
妹は一緒に少し笑った。
そんな生活が大分続いていたが、
変化が訪れた。
夫が介護に疲れて自殺しようとして警察に捕まった。
警察署に亮介を迎えに来たには妹の良子だった。
「この歳になって何をしているの」
「ごめんや。もう疲れたと思って・・・」
「ホント」
「だからバカだったって」
そんな生活が長く続き、ある日、良子が倉庫を掃除していると
古いアルバムを見つけた。
驚いてめくると洋子の若い時の写真が多く載っていた。
「懐かしいわ、このアルバム。大分前に無くしたと思っていたアルバムじゃなの」
洋子に見せると、亮介との若い結婚式の写真や桜の並木道を撮った写真も数多くあった。
洋子はアルバムから桜の並木道の写真を取り出すと、
「写真縦ある?」
「あるわよ」
「この写真いれておいてほしい・・・」
良子は写真縦にその写真をいれてベッド近くに置いてくれた。洋子は全身麻酔による緩和ケアの尊厳死も考えていたが、
洋子は病院で毎日、苦しみを抑えるため、特殊な麻酔も使用して、意識はあるが、神経を麻痺させて、苦しみを和らげてきたが、洋子は毎日、通院で大量の薬を飲む。
ナノマシンで安楽死も可能。自殺の安楽死可。
飲む麻酔の販売がネットでしている。
ネットなら自殺したい人は誰でも楽に自殺できるよう麻酔と組み合わせた、安楽死自殺薬を販売してる・・・。それ以外に大量の薬を飲むのに違和感を覚えてきた。自分の体もガリガリになってきた。
もう助からない・・・もうやりたい事をやってもう死にたい・・・。
そんな洋子の人生を大きく変える事がおきた。
良子が最近日本でも支社ができ、スイスやアメリカ、オーストラリアだけでなく日本で審査できるようになり、日本でも認められた県がある事から、日本では緩和ケアの消極的安楽死しか認められていないが、日本は出島以外、積極的安楽死は病院は行っていないが、禁止はされていない。団体に登録してスイスや米国に行けば死ねる。誰でもスイスへ行っての安楽死できる両国での患者への法整備もできた。沖縄でも。沖縄では唯一自殺の積極的安楽死認めている安楽死自治区の県。沖縄自殺ツアーがある。沖縄自殺ツアー、ショーシャンクの空にラストのレッドのバスの音楽の感じ。ショパン別れの歌。
日本は積極的安楽死禁止されているから、その分、やっていけない人もいるので、安楽死自殺薬のネットの販売についてはそこまで規制はしていない。自殺する人は楽に逝けるようにしている。
ネットの安楽死団体の日本語ホームページで、Lifenetは、スイスの安楽死団体も運営しているサイトも載っていて、安楽死のスイスなどの外国の安楽死文化が入ってくるホームページである。その他、オーストラリア、ニュージーなど。韓国でも認められ、安楽死の文化が入ってきて、安楽死の手続き、審査、交流のサイト。
日本の自殺幇助の安楽死の出島と呼ばれる。自殺幇助の出島はもう生きていけない人や自殺者の安楽死の受け入れをしている所である。自殺の安楽死薬手に入れられない人や確実に死にたい人やいろんな場合で積極的安楽死を選ぶ人などが積極的安楽死権を手に入れる人が多い。お金ある人はスイスへ行っての自殺の積極的安楽死
をしている。スイスは自殺で医師の手によって確実に死ねる、積極的安楽死が認められている国。
料金が安いので自殺薬使っての安楽死が日本は1番多い。
インターネットのLifenetとゆうインターネットのホームぺージの役所と日本の安楽死団体のホームページを見て、Lifenetはスイスや安楽死の認められている県での自殺幇助の安楽死認定の日本人用のスイスやアメリカの法律が適用され、審査や手続きが行える。安楽死の出島で申請を行い、スイスで安楽死のための登録や渡航補助や通訳などのお金を払えば全面的に補助してくれる。出島のサイトなら自殺の緩和ケアの商品も多く販売している。沖縄では情報犯罪やサイバー犯罪は禁止され、沖縄は統治でなくなった。
スイスへ行かなくてもLifenetなら日本人の安楽死団体の申請の審査と手続きが可能だ。
スイスなら安楽死できる事を知ったのである。その他、なおらないと診断され、後何か月の命なら消極的安楽死の尊厳死で苦しみのない麻酔剤での緩和ケアが一般的。
消極的安楽死の尊厳死の緩和ケアを受けながら死ぬは誰でもで、緩和ケアの尊厳死は本人の意思があれば権は取らなくてもいい。
消極的安楽死でこのまま呼吸器を外して、尊厳死は緩和ケアなので麻酔を受けながら苦しみなく死んでもいい・・・
だけど・・・、医療費だってばかにならない・・・。病気によってはずっとこのままかもしれない・・・。死の様々な選択肢はある、
大量に飲めば死ねる睡眠薬も残った。実験用の毒薬だけでなく、医療用麻酔や自殺の安楽死薬もネットで買えるし・・・。
いい思い出を作って、楽になりたい・・・。なら普通に自殺したいならネットで外国から取り寄せた自殺薬を・・・経済的や歳いくより若いうちで死にたい人もいる。でも医師の人に処方してもらった方が、確実に死ねる・・・。
(安楽死のスイスやアメリカの民間団体の登録は簡単でネットで誰でもメールで簡単に登録できる。スイスの安楽死団体への登録の代行の補助の会社もある。安楽死は日本人用のスイスやアメリカの法律が適用。国内で安楽死の場合は安楽死権の申請がいり、適応できなければスイスに行くのが一般的。安楽死の申請は情報制度がアメリカに近い日本のパプアニューギニアの沖縄の安楽死団体なら申請は認められていて、安楽死の決まりで申請可能。沖縄の情報管理制度の進歩とナノマシンと医療の進歩により、絶対に助からない病気以外は根絶され、国の法でなく沖縄の県法で安楽死も認められた沖縄なら5年間住めば、日本でも、
積極的安楽死権を獲得できる。安楽死権取れない人はLifenetで海外で積極的安楽死が可能。
尊厳死の消極的安楽死の死ぬ時に楽に死ねる、苦しい時の点滴でも全身麻酔投与など医療技術も進歩してきて、
消極的安楽死と積極的安楽死の両方でも楽に死亡可能。
HPや独自の県政文化があり、県法で安楽死も認められている)
スイスの安楽死団体の登録の代行の会社もあり、一般の人も安楽死簡単にスイスやアメリカ行って可能だ。自殺で安楽死薬はネットで販売もしている。自殺したい人はネットで安楽死薬を購入して可能。昔、睡眠薬で安楽死できていたように自殺の安楽死薬もネットで販売している。
そのため自殺者の安楽死は一般的。
最近は日本でも安楽死の議論は多くされていて、TVでは見かけないが沖縄の自殺ツーリズムもあるみたいだ。
その他安楽死させてくれる少し危険な奴もいるようで
お金さえあれば・・・と1舜そう思った。
そして良子は洋子との話し合いに臨む。
毎年、沖縄は安楽死できる県に安楽死を求めて毎年多くの人が沖縄の安楽死申請を取るために沖縄を訪れる。沖縄から比較的簡単にスイスの安楽死団体に登録可能だ。
良子は寝たきりの洋子の額に手を当てると、
「ネットで安楽死のサイトを見た」
「あ・んらくし」
「楽に死ねるって事」
「教え・て」
「本土の病院は治療が専門だけど、沖縄なら苦しいなら楽に死ににいける」
とりあえずスイスやアメリカの安楽死団体の日本語のホームぺージを見て、
資料請求をしてみた。
沖縄の自殺ツアーもホームぺージでメールも送ってみた。
(その他、沖縄ならアメリカとの2国間統治に近く、アメリカの文化も融合し簡単にアメリカの海外移住の手続きが比較的簡単で、アメリカの移民局の審査で日本在住でのグリーンカード申請もできる。沖縄の県法で安楽死も可能。沖縄はニュージーランドのようなハワイやモルジブのような県で、本土とは別に旅行とは別で沖縄からグリーンカード申請も可能。沖縄の県政は本土とは別にしている)
1週間後返信がある。スイスの安楽死団体と
沖縄自殺ツアーの話。
安楽死法は県では認められていて、沖縄では認められている。
安楽死の民間団体が日本もあり、スイスのライフサークル日本支社もできたばかり、(どんな人でもライフサークル等の安楽死団体に日本語で登録可能)その日洋子に良子は説明していた。
「洋子はどうしたい?」
「う・ん」
「沖縄行ったら楽に死ねるけどもう会えないよ」
最初は考えていたが、洋子はもう楽になりたい・・・と言って話は決まった。
日本での安楽死は県によって結構普通のようだ。どんな人間も簡単に安楽死が可能だ。東京は実施していない。
沖縄自殺ツーリズム
この自殺ツアーは治療不可能な難病にかかっている人や
安楽死が該当される人だけのために行われる自殺ツアーです。
楽に最後をむかえたい人のためだけに行なわれるものです。
探せばネットで安楽死薬の販売もしているだろうが、
最後は洋子を旅行でいい最後を迎えてほしかった。
良子はその自殺ツアーの紙に記入すると郵便で送った。
沖縄自殺ツーリズム 安楽死ツアー
11月
洋子は良子と沖縄に来ていた。
車いすの良子をつれて来ていた。
空港で荷物を下ろして、入り口付近でまっている安楽死団体の一人を見つけて、
一緒にその人のワゴンに乗って、沖縄の同じ自殺ツアーの人にも会えた。
沖縄はスイスのような県で、
スイスやアメリカで安楽死したかったようだが、スイスの安楽死団体は高くてこっちを選んだ。
洋子の泊まる民宿まで良子も一緒。
そこで安楽死団体の医者が見に来て説明してくれた。
「まず貴方が安楽死に適応者か判断する必要があります。
それと犯罪性でないよう、警察に提出する書類が必要です。サイバー犯罪がある場合は記録が必要です。それと遺産がある方は存命中に遺産を子供に残す保障の申請が必要です」
自殺ツアーの1日目は沖縄のいろんなところをドライブ。
バスに乗って景色等を楽しんだ。
バスの窓からは沖縄の自然が大く見られる。
最後の旅行だから最高の思い出を作って、十分楽しんでほしいとゆう願い。
二人は海の見える近い駅で降りた。
その夜、良子と洋子は最後の時をいろいろ語り合っていた。
夫にもスマホで連絡をいれて、最後の時を語れなかったのは残念と夫も嘆いた。
実は夫は安楽死に反対だったから、ついてこなかったのだが、
海に近い海沿いの下灘駅のようなバス停で二人は降りた。波の音が二人の気持ちを落ち着かせる。
カモメが飛んできて、餌をねだる。
良子は最後にかすかに潮の香りがする、とても美味しい沖縄の海に一番近い海沿いのレストランに洋子を招待しての人生の思い出を語りあった・・・。
最後のベッドの洋子に良子は
「私貴方の妹で本当によかった・・・」
「う・れ・し・い」
「最後をありがとう」
「それよりお姉ちゃんも大変だったね」
と昔話で盛り上がった。
そう言って泣き崩れる。
最後の時
医師がたちあいの下、洋子の最後は訪れた。
ペントバビタール系や筋弛緩剤や塩化カリウムの安楽死薬を点滴のボタンを押して投与した。
(その他、飲む筋弛緩剤安楽死薬、バビズール系安楽死薬注射、人工凍死や自殺手術の麻酔をして脳を切り取り脳死させる等の安楽死手術等。楽に死ねる睡眠薬もある)
良子は部屋で泣き崩れた。
洋子は睡魔に襲われた。
「あ・り・が・と・う」
そう言って麻酔の眠気が襲って、何も感じず眠りについた。
そして洋子は家族に看取られながら安らかに最後を迎えた。
5時46分 死亡
若い洋子はあの頃の若い夫と桜の並木道を自転車の夫の後ろに乗って、坂を下っていった・・・。
普通は火葬ではなく特別な部屋で遺体を腐らせずに堆肥葬で微生物やナノマシンで体を分解してIPSで自分のDNAを木に遺伝子として伝える木葬とゆうやり方が一般的で、遺体を溶かすや遺体を冷凍保存するなど意見もあったが、
良子は洋子の遺灰を滝に流してあげたいと思った。
遺灰はごうごうと響く大瀑布に神聖なものとして消えていった。