PART1 STARTING
『まずい、始めやがった!』
『仕方ない、突入だ!』
『機動班、全機突入! 目標までのルートを確保!』
ある街中の雑居ビル、喫茶店や古本屋、金融会社等が入った、極々普通のビルの周囲に、暗号化された無線の電波が飛び交う。
もしそれを偶然にも聞いた者がいたなら、警察の強制捜査か何かの類と判断したかもしれない。
確かにそれは強制捜査に近い物だった。
ただ、一点を除いては………
「異界化を確認した! 来るぞ!」
「エネミーソナーに感! 10、20、まだ増える!」
「ランクはそれ程高くない! 《weis(白)》機と《schwarz(黒)》機は一階、《blau(青) 》機と《Grun(緑)機》は二階を制圧! 後は最上階へ!」
『了解!』
「ユーイチ! 外に出てる奴はいるか!」
『そっちは大丈夫! 異界化してるのは中だけだよ!』
現状の確認と指示が飛び交う中、幾つかの影がビルの中を駆け上がっていく。
それは、異様な一団だった。
戦闘に立つのは、まるでSF映画にでも出てくるような、重厚な装甲に身を包んだパワードスーツだった。
燃えるような赤い装甲の肩に《Rot(赤)》と刻まれ、手に大剣を持った機体と、《rosa(ピンク)》と肩に刻まれた淡い桃色の装甲に手足に追加装甲がつけられた機体が先陣を切り、ビル内を進む。
「何が日付が変わるまで動かないだ!」
「知るか! よっぽどせっかちだったんだろ!」
その背後、スーツ姿にカラーサングラスを掛けた生真面目そうな青年と、ジャケット姿にいかにも伊達物のサングラスを掛けたどこか無邪気そうな青年が口論しながら走る。
しかしその両者の手には、それぞれ拳銃が握られていた。
「でもまだ間に合います! 急ぎましょう!」
その更に後ろ、長い銀髪の少女と言っても過言ではない小柄な体格の女性が続く。
その手には、槍の穂先の両側に三日月状の刃を付けた、方天戟(ほうてんげき)と呼ばれる中国の武器が握られていた。
異様とも言えるその集団を、更に異様にしている者が二人の青年の傍にいた。
「召喚士殿!」
「ちょっと待って!」
スーツ姿の青年の隣、甲冑姿の金髪の白人女性が叫ぶ。
その上では、透明な羽の生えたミニチュア程の小さな少女が飛んでいる。
「来ルゾ………」
ジャケット姿の青年の隣、トカゲの尾を持つ獣の口から人間の言葉が漏れる。
最上階を目指す一行の前、突如として空間が歪んだ。
虚空に現れた黒い穴のような物から、それは現れた。
全身が煙で構成され、それに骨だけの頭部が付いた異形の大蛇だった。
この世にあらざる物とされるその怪物達、人はそれを《悪魔》と呼び恐れていた。
その虚空から出現した悪魔、ギリシア神話で大地の下から蒸気で神託を送ったとされる邪龍 ピュートーンが一行へと襲い掛かる。
「ここはオレ達が!」
「いくよ
情人!」
先頭のパワードスーツ、対悪魔戦闘用機動装甲 XX(ダブルエックス)―1がピュートンに襲い掛かる。
「ハッ…!」
「ハイッ!」
《Rot》機の手にした大剣の表面に走る急性温度変換素子のラインにエネルギーが送り込まれ、超高温のヒートブレードと化した大剣がピュートーンの体をえぐる。
そこに《rosa》機の拳が骨だけの頭部を打ち据え、殴り飛ばす。
「まだ来るよ!」
「二人で押さえる!」
「急いで!」
空を飛ぶ有翼の少女、イギリスの伝承で森に住むとされる妖精 ピクシーの声と共に、虚空に次々と穴が現れ始める。
それを見たXX―1二機がその場に残り、その穴へと向けて構えた。
「頼むぞ達哉!」
「任せたぞ周防(すおう)弟!」
「無理はしないでください!」
二人の青年と小柄な女性、それに付き従う悪魔達が先を急ぐ。
そして辿り着いた最上階、《超時空研究所》とふざけた看板が出ている扉を青年二人が荒々しく開けた。
「何者だ?」
「さて」
室内には、薄汚れた白衣を着た科学者風の男と、頭から黒いロープを羽織って口元しか見えない性別不詳の人影があった。
「警察だ! 全員動くな!!」
「死にたくなかったらな!」
二つの銃口がそれぞれの人影を狙い、その左右に悪魔達が並ぶ。
「悪魔使い、葛葉の者か………」
「葛葉、あの葛葉か!」
「分かってんなら大人しくしろ。オレの仲魔は凶暴だぞ」
ジャケット姿の青年が、白衣の男に一歩歩を進めて威嚇する。
「この周辺での住居破壊及び、無差別傷害の容疑で検挙する!」
「それだけじゃなさそうだぜ」
スーツ姿の青年が、懐から手錠を取り出す中、ジャケット姿の青年が室内の中央に設置されている物を見た。
それは、巨大な電気コイルのような物が幾つも繋がったような奇妙なオブジェで、同様の物が部屋の四隅、しかも床と天井の上下にそれぞれ設置されている。
「これはなんなんでしょう?」
方天戟を構えた女性が、その装置群を奇異を見る目で眺めていく。
「知らないのかね? それは…」
「テスラコイル、現存する歴史の中で最悪の次元災害、フィラデルフィア事件を起こした元凶か」
白衣姿の男の説明を、ジャケット姿の青年が代弁する。
「アメリカの全サマナーを総動員させたって悪夢をここで再現する気か?」
「それは誤解だよ。正しい理論を持って実験を繰り返せば…」
突如として放たれた銃弾が白衣の男の頬をかすめ、言葉を強引に中断させる。
「小岩!」
「能書きはいい。大人しくしなければ次は額だ」
スーツ姿の青年が、いきなり発砲したジャケット姿の青年をたしなめようとするが、ジャケット姿の青年は意にも介さない。
「ケルベロス、ジャンヌ・ダルク、装置を破壊しろ。完全にな」
「分カッタ」
ジャケット姿の青年の命令に従い、地獄の門の番犬を勤めるという魔獣 ケルベロスと、英雄 ジャンヌ・ダルクの魂をドリー・カドモンという人形に封じ込めて作り上げた人造悪魔が装置へと向かって牙を振りかざし、剣を振り上げる。
『待ってください!』
その時、切羽詰った声の通信が青年の耳へと飛び込んできた。
「小次郎か、どうした?」
『上は制御装置に過ぎません! 地下にとんでもなく巨大なプラントが……これは動力炉!?』
「何……?」
突入した者達が通信を聞いて動揺しているのを、室内にいた二人は楽しげに見ている。
「何をするつもりだ! 無差別テロでも起こすつもりか!」
「そうではない、可能性の世界という物を知ってるかね?」
ロープ姿の者が、くぐもった性別も判明できない声で呟く。
「可能性の世界だと………」
「聞いてる暇はない! こいつを壊すんだ! でないとヤバイ事が起きる!」
「もう遅いよ」
白衣姿の男が、低い声で笑い始める。
その時、装置は青白い色を浮かべてスパークを始めていた。
「させるか!」
「間に合え!」
二つの銃口から放たれた弾丸が、中央の装置を撃ち抜く。
だが、次の瞬間、装置は突如としてまばゆいばかりの光を吐き出し、周囲を光で染め上げた。
「マズ……」
思わずジャケット姿の青年が呟いた時、彼の意識は途絶した。
「これは…………」
「危険だね。とても」
「だがどうする? 我らではこの状態は……」
「歪みのエネルギーが、他の歪みと干渉を起こしている。私達では修復は不可能だ」
「ならば」
「歪みのある所には、必ずそれを正そうとする者達がいる。彼らの力を借りよう」
「それしかないだろう。我はこの者を別の歪みへと導こう」
「こちらもできる限りの手は打とう。しかし、なぜこのような事が……」
「分からぬ。だが………」
「ねえ、生きてるの?」
「若干の負傷はありますが、生命維持に問題はないようです」
「だが、なぜここに?」
「彼に聞いてみるしかないかな?」
先程まで聞こえていた、どこか聞き覚えのある声と別の声が周囲から響いてくる。
全身を覆う妙なダルさと、奇妙な頭痛を堪えて、彼はゆっくりと目を開けた。
「あ、起きた」
「注意です。彼は武装しています」
「そうだな」
視線の先、こちらを見る八つの瞳が有った。
全員が高校生くらいの年齢で、不安、警戒、好奇心、それぞれの感情の篭った瞳でこちら見ているのを感じながら、彼は周囲を見回す。
そこは、床、壁、天井全てが奇妙な白で統一され、妙なファンタジーRPGの城内のような空間だった。
頭を振りつつ、体を起こして彼は現状を確認。
「どこだここは?」
「タルタロスだ」
こちらを見ていた者の一人、髪を短く刈り込み、絞り込まれた体型に鋭い目つきの男が返答する。
「タルタロス? あのミノタウロスが封じられた?」
「それは神話でしょ? ここは本物」
ショートヘアーで快活そうな少女が答える。
「質問です。あなたはどうやってここに?」
短い金髪に表情のとぼしい少女が逆に聞いてくる。
「あれ? 確かオレは……」
そこまで言った所で、彼の懐から電子音が鳴り響く。
「後だ、来る!」
片目を伸ばした前髪で覆った少年が、腰から長剣を抜いて構える。
他の三人も、それぞれグローブや弓矢を構えた。
「そういう事か」
彼も立ち上がると、懐に手を入れる。
「無理だ! シャドウ相手に普通の人間は戦えない!」
「シャドウ?」
聞きなれない言葉に疑問を持った時、それは現れた。
それは、まるで影その物が意思を持ったかのような、奇妙な物だった。
影を粘土のようにこね合わせ、それに仮面を持たせたかのようなそれは、手に剣を持ってこちらへと向かってくる。
「はっ!」
「このっ!」
男が拳で殴りかかり、少女が矢を放つ。
しかしそれは、そのダメージを物ともせず、こちらへと向かってきた。
「下がって!」
片目を隠した少年が片手に長剣を持ったまま、もう片方の手で腰のホルスターから何かを抜いた。
(銃? いや違う)
それは、拳銃によく似ていたが、それとは違う何かだった。
「タナトス!」
少年はそれを自らのこめかみに当てると、ためらいなく引き金を引いた。
銃声が響き、放たれた何かが少年の頭部を撃ち抜く。
少年の頭部を撃ち抜いたそれは、無数の光となって虚空へと噴き出し、形を形成していった。
光は漆黒の体と棺を持った、古代ギリシア神話で死そのものを司るという死神 タナトスの姿となった。
『五月雨斬り!』
タナトスの振るう刃が、無数の斬撃となって異形の影を切り刻む。
「やった!」
「まだ来ます!」
また別の影の異形が、向こう側から押し寄せてくる。
それを見た男と快活そうな少女が一斉にそれぞれのホルスターから少年と同じ奇妙な銃を抜いた。
「カエサル!」
「イシス!」
「アテナ!」
鋭い目つきの男から古代ローマ帝国を造り上げた皇帝カエサルが、快活な少女から古代エジプトの豊饒の大母神イシスが、表情のとぼしい少女から古代ギリシアの知恵と戦の女神アテナがそれぞれ具現化する。
「お前ら、ペルソナ使いか」
「!? なぜペルソナの事を!」
それが人間の深層意識が持つ力を神や悪魔の姿を持って具現化させた物、《ペルソナ》だと気付いた彼が感心する。
「じゃあ、こっちもやるとすっか」
彼は懐から奇妙な物を取り出した。
それは、一見すると銃によく似ていたが、弾丸を発射するマズル(銃口)がなく、スライドに当たる部分は薄く縦に伸びている。
ペルソナ使い達が戦っている後ろで、彼はそのトリガーを引いた。
すると、その手にした物体の前部がスライドしつつ、左右へと開いていく。やがて完全に左右に分かれた部分がそのまま前へと旋回し、また戻った。
そしてそれは、ルーン文字の書かれたキーボードと小型ディスプレイを持った奇怪な形のPCと化した。
「よし、行ける!」
ほくそ笑みながら、彼はそのキーボードをタイプし、エンターキーを押した。
途端にPCの小型ディスプレイに魔法陣が浮かび上がり、そこから光が画面外へと吹き出した。
吹き出した光は粒子となり、そしてその粒子の塊が形を取りながら青年の傍らへと降り立つ。
「ゴ命令ヲ、召喚士殿」
「あのペルソナ使い達を援護しろ」
「ハッ!」
その降り立った者、魔獣 ケルベロスが彼の指示に従い、前へと飛び出す。
「何!?」
「これは!?」
ペルソナ使い達が驚愕する中、ケルベロスは異形の影を前に口を開くと、そこから灼熱の業火を吐き出す。
「一気に畳むぞ!」
「わ、分かった!」
彼もまた懐から拳銃―H&K(ヘッケラー&コック)MK23ソーコムピストル、合衆国特殊部隊統合軍の正式採用にもなっている高性能拳銃を抜き放つと、異形の影へと連射する。
「何なのよ一体!」
「さてな!」
ケルベロスの業火の後、イシスの疾風魔法とカエサルの電撃魔法が異形の影を埋め尽くす。
「トドメです!」
表情の乏しい少女が、その手に仕込まれたマシンガンの連射で最後の一体を薙ぎ払う。
「片付いたか」
「あなたは、一体?」
自らの元に戻ってきたケルベロスの背をなでながら、己に発せられた問いに彼は答える。
「オレは小岩 八雲。職業は私立探偵 兼 デビルサマナーだ」
「デビル、サマナー?」
ペルソナ使い達が、首を傾げてお互いを見た事に、彼―八雲の方も首を傾げる。
「お前ら、ペルソナ使いのくせに悪魔もサマナーも見た事ないのか?」
「知らない。って言うか、悪魔って本当にいるの!?」
「はあ? お前ら何を言ってる? あのシャドウとか言うのは、変異した悪魔じゃないのか?」
「まて、シャドウというのは…」
「待って。一度戻ろう。話は下で」
「それがいいであります」
片目を覆った少年の指示に、ペルソナ使い達も賛同する。
「お前、名前は?」
「不破。不破 啓人(けいと)。月光館学園・特別課外活動部、戦闘リーダー」
「……結構な部活で」
少年、啓人の差し出した手を、八雲は握り返す。
「風花、この人も一緒に戻せる?」
『やってみます』
通信機からの返答を聞いた全員が、一つの場所に集まる。
「戻る?部分跳躍なんて能力持ってるのもいるのか?」
八雲の問いに啓人は頷いた。
「ああ、索敵・調査なんかの補助系が彼女の能力。他の連中は戻ったら紹介する」
「って事は他にもいるのか」
「ええ」
「どうやら、やっかいな事になったようだな……」
八雲が呟いた時、全員を淡い光が覆い、直後に全員がその場から消えた。
気付くと、周囲の景色は一変していた。
何かのロビーのような場所に、大きな階段とそこから伸びる扉が見える。
そのロビーに、他の人影もあった。
「彼か」
「ええ」
長い赤髪の気丈そうな少女が、八雲の方を鋭い目つきで見る。
「何なんだよ、それ……」
帽子を被った陽気そうな少年が、ケルベロスを見て僅かに怯える。
「どこから来たんでしょう?」
どう見ても小学生の短パン姿のマジメそうな少年が首を傾げ、その足元で中型の犬がこちらを睨んで吼えていた。
「さっきまで誰もいなかったはずなのに、いきなり現れたんです。私にもさっぱり……」
小柄で、いかにも気の弱そうな少女が、そっと八雲とケルベロスを見た。
「お前達の仲間はこれで全員か?」
「ああそうだ」
気丈そうな少女が八雲の問いに答える。その場にいる者達を全員見た所で、八雲は気弱そうな少女を見た。
「お前、あそこにいなかったのにオレが出現したと言ってたな。それがお前の能力か?」
「は、はい………」
「オレ以外に誰かいなかったか?」
「いいえ、分かる範囲には誰も………」
八雲はうつむき、現状を脳内で整理していく。
(オレは確かにあのビルにいた。だが、あの閃光が走った時、意識が途絶えて………これは一体?)
「な、なあ、あんた」
「何だ?」
「それ、噛み付かね?」
帽子を被った少年が、恐る恐るケルベロスを指差す。
「大丈夫、腹が減った時とオレの指示以外じゃ襲わん」
「オレサマ、腹減ッタ………」
ケルベロスの余計な一言に、八雲以外の全員が一斉に距離を取る。
「ケルベロス、お前何があったか分かるか?」
「分カラナイ。気付イタラCOMPノ中イタ」
「そっか」
ロビーの端で震えてる者達を差し置き、八雲が懐から銃型PCを取り出し、操作する。
すると、ケルベロスは現れた時と逆の光の粒子となって銃型PCの中へと吸い込まれていった。
「それ、召喚器なんですか?」
「召喚器? こいつはGUMPって言うんだ。こいつに内臓された悪魔召喚プログラムを用いて悪魔を仲魔として従え、悪魔と戦う。それがデビルサマナーと呼ばれる者だ」
「悪魔召喚プログラム? 仲魔?」
「何も知らないのか? お前ら、どこでその力を?」
「それはこっちも聞きたい。どうやって影時間の最中、とつぜんタルタロスの中に?」
「……最初から説明しなきゃならんかもな」
「こちらも」
「一度寮に戻ろう。かなり複雑な状況のようだ」
「……そうしよや」
「そうね」
気丈そうな少女の言葉に、全員が玄関と思われる扉に向かう。
(一体ここはどこなんだ?)
首を傾げながら扉をくぐろうとした時、突然八雲の体が何かに弾かれる。
「なっ!?」
「え……」
「風花!」
八雲の背後にいた気弱そうな少女に向かって八雲が飛んでくるのを、啓人が横へと引き寄せてかわさせる。
「な、何だぁ?」
「どうしたって言うんだ?」
先に出た者達が、不思議そうな顔でこちらを見る。
「まさか……」
八雲が立ち上がって開け放たれた扉から外へと手を出そうとする。
だがそこで、見えない力に弾き飛ばされる。
「括られている………」
「出られないのか?」
「のようだな……」
「どういう事?」
八雲が自分の身に起きた事をゆっくりと考え、整理していく。
(時空実験、巨大な動力、装置の作動、そして跳躍、悪魔を知らないペルソナ使い……ひょっとして?)
「今は、何年だ?」
「2009年だぜ?」
「珠フ瑠市はどうなってる?」
「どこだそこ?」
「エミルン学園に行った事のある奴は?」
「従兄弟の南条 圭が通っている。今年入学したばかりだ」
「セベク・スキャンダルはどうなった?」
「あの電子都市計画か? 計画段階で頓挫したと聞いている」
「……フィレモンに何と答えた」
「誰だ? 聞いた事もない」
自分のいた場所とまるで違う解答に、八雲の中に、ある仮説が成り立っていく。
「……ここには、誰でも入れるのか?」
「いや、影時間に対応できる人だけだ。普通の人間は象徴化してしまい、影時間の存在すら認識できない」
「その逆はあるか?」
「はあ? あんた頭大丈夫か?」
八雲は啓人の手を取ると、その腕にある腕時計と、自分のとを見比べる。
なぜか完全に止まっている物と、平然と動いているのに先程聞いた年数と数年単位でずれているそれを。
「え? え? なんで影時間なのに腕時計が?」
「影時間ってのは異界化の事か? 多分オレはその中にしかいられない」
「どういう事だ?」
「オレは、この世界の人間じゃない。ここによく似た異世界の特異点だ……」
「つ……」
「お、起きたか」
痛む頭を振りつつ、彼は身を起こす。
そこはどこかの事務所らしく、来客用に用意されているらしいソファの上に寝かされていたらしい事を確認しながら、事務用デスクの方から声をかけてきた男に目を向けた。
「ここは?」
「東京は筑土町、鳴海探偵社。それでオレはここの社長の鳴海だ」
デスクでマッチ俸パズルに興じていた、どこから古めかしいデザインのスーツ姿の男、鳴海がその手を休めないまま説明する。
「運が良かったよアンタ、ウチの助手が危ない所で寝てたのを見つけてね」
「ああ、ありがとう。僕は警視庁特殊機動捜査部所属、周防 克哉警部補だ」
「それなんだよね」
完成したパズルをそのままに、鳴海が応接用デスクを指差す。
そこには、彼―克哉の持ち物が並べてあった。
強度と通話範囲重視で選んだ携帯電話、捜査の補助用として支給されたPDA、この間更新したばかりの運転免許、そして〈同僚〉から譲り受けた軍用としても使われるオートマチック拳銃ザウエルP229などが、几帳面に並んでいる。
「警視庁にそんな部署は表にも裏にも存在しないし、そんな洒落た格好の刑事も知らない。それ以前に妙な物ばかり持ってる」
「妙? 確かにこの銃は官給品ではないが、それ以外は………」
克哉は自分の持ち物を一通り見てみるが、取り立てて妙な物を持っているわけでもない。
ふとそこで、自分の運転免許の隣に置いてある新聞に目が移った。
「大正、二十一年!?」
「君、昭和の生まれってあるけど、それいつの年号?」
克哉はソファから飛び起き、探偵事務所の窓から外を見る。
そこには、自分の知っている東京の景色とは似ても似つかぬ、文字通り大正時代の古めかしい気色が広がっていた。
「これは………」
「おっと、助手が戻ってきたようだ」
呆然としている克哉の背後でドアが開く。
そこから入ってきたのは、学帽に学生マント姿の色白の若い男だった。
「紹介するよ、ここの優秀な助手で君の恩人、葛葉 ライドウだ」
「葛葉!?」
突如として解き放たれた無数の糸は、他のほつれた糸と絡み合う。
その先に広がるのは、果たして…………